七尾の魅力

能登半島の中央部に位置し、富山湾、七尾湾に面し、市域には能登島を含んでいます。

「七尾」の名称の由来は、七尾城のあった山(通称・城山)の7つの尾根(菊尾、亀尾、松尾、虎尾、竹尾、梅尾、龍尾)からと言われています。

七尾湾中央部に位置する能登島町、七尾西湾の中島町、田鶴浜町の区域を市域に含み、七尾南湾を取り囲んでいます。

東部は富山湾に面しており、湾に沿って北東へ伸びる崎山半島は、先端の観音崎で能登島と向き合っています。

和倉温泉、赤浦温泉、赤崎温泉など温泉が多い街でもあります。

古代の能登国能登郡の地で、能登国府や国分寺が所在する能登国の中心部でした。

さらに遡れば、能登国造が治めた土地でありました。

全長52mの矢田高木森古墳(前方後円墳)や42メートルの矢田丸山古墳(円墳)を盟主とする矢田古墳群は能登臣一族に関わるとされています。

対岸の能登島には延喜式内社伊夜比咩神社や全国でも珍しい高句麗式の石室をもつ須曽蝦夷穴古墳があります。

中世には鹿島郡となり、戦国時代には能登畠山氏が七尾城を拠点とし、7代目当主畠山義総の代には、七尾城下に壮麗な「畠山文化」が栄え全盛期を迎えます。

1577年(天正5年)、上杉謙信の侵攻により畠山氏は滅ぼされ、その後織田信長に仕える前田利家が能登全域を領有しました。江戸時代には一部の天領を除き前田氏の加賀藩の一部となりました。

七尾市は、山・海・川の自然があり、温泉があり、港があり、食の美味があり、そして活気あふれる人がいる魅力あふれる街です。